来る日も来る日も、漂着ごみを拾い続けなければならない 

県と市が、せめて、週に数回は、ごみ拾いをする!これがご苦労に報いる道ではないでしょうか

自宅敷地に、加茂川や鳥羽湾のごみが漂着し、来る日も来る日も、ごみを拾い続けなければならない……
そんな現実に何十年も向かい合ってきたお宅があります。写真をご覧ください。雨や西風の後はこんな有様です(左)。前夕、拾っても翌朝は、また、ごみです(右)。

この方は、何度も何度も県に対して要請され、ようやく、最近、県が年3、4回はごみ回収を実施するようになりました。市環境課も、袋の回収を実施するようになりました。
しかし、肝心の、ごみを拾い袋につめる作業は、今も解消されていません。夏は暑さと臭いで気分が悪くなります。めまいがして日射病かもしれないと中断することもしばしばです。冬は寒さと吹き付ける風に抗して必死で拾います。動物の死体があがることもあります。衛生的にも、体力的、精神的にも、限界を超えています。


もともと、市内中心部で、造船所を営まれていたのですが、50年近く前、市道をつくる際に、市から、現在の海岸を代替地として移転を要請されました。当時、移転地は船が交通手段の地域でした。小学生だった子どもたちは、便利な徒歩通学から船での通学を余儀なくされました。思いあまってある日、「なんで、わたしらが、不便なところで苦しい目をしなあかんの…」と不満を言いました。すると、お父さんは「鳥羽市の発展のためやから我慢せなあかんよ…」と、優しく諭されたそうです。
以来、漂着ごみとのたたかいです。時代の発展とともに、発砲スチロールやペット、缶、ビニール袋、それと、山が荒れ、休耕田が増えて、3メートルもあるような大きな竹や木や、たくさんの木っ端が流れつきます。大きな木は切らないと回収してくれません。毎日の作業も限界に近づいています。


今は亡きお母さんは、ご高齢になられても、毎日、黙々とごみを拾い続けなければなりませんでした。


海岸の管理責任者である県と、きれいな鳥羽市をめざす市が、せめて、週に数回は、ごみ拾いの責任を果たす。
これが、長年のご苦労に報いる道ではないでしょうか。8月からスタートした、環境パトロールの枠を拡げれば、すぐにもできることではないでしょうか。