それでも反省は口にせず

 最近の市政運営のダッチロールを象徴する一日でした
 総務常任委員会での議案審議は、私が質疑した「退手債」問題に集中しました。山下伴郎委員長以下、中村欣一郎、木村幸夫、藤原喜代造、世古安秀の各議員と私、ほぼ同じ認識でした。職員の退職手当支給のために、貯金も一般財源なければ、借金するしかない、それは現局面では致し方ない。それが駄目だと言っているのではない。問題は、計画的に退職手当基金を準備しなかった鳥羽市の財政運営姿勢に問題があった。それを反省をし、教訓を今後にいかしてこそ、財政健全化が達成できる。ところが、財政課長は、何も問題がない、当然だという。それは認められない、というものです。
 全員がそれぞれ質疑しましたが、最終的に財政課長からは「反省」という言葉はありませんでした。議員の率直な指摘を、実務的答弁にすりかえ、正面から受け止めようとしない姿勢に終始しました。最後に「議員の指摘を受けて来年度の予算編成にいかしていきたい」(というような意味のことを発言しました)。
 その他の質疑では、撤回された機構改革について白熱した議論となりました。この問題でも、本来なら、前代未聞の撤回で「議会に申し訳ない」という姿勢をにじませるのが普通です。ところが、当の行革室長からは全くそれが伝わってこなかった。また出しますのでよろしくといった調子です。
 
 委員会を終えて、議員全員で、思わず「それでも課長は退手債問題で反省を口にしなかった。本当にこれまでの財政運営でいいと思っているのか。議会と当局のこのズレはいったいどこから来ているのか」と感想を述べ合いました。「総務委員会は阪南市高野町に視察に行き、首長と職員の改革姿勢を目の当たりにしてきた。幹部職は井の中の蛙になってはいないか」「鳥羽市政の今の時点さえ、自分が切り抜けられればいい、全国状況は関係ないという姿勢に陥っているのではないか」と。
 私が痛感するのは、やはり、市民感覚との乖離です。まちづくりや福祉など市民と結びついた現場の担当課は、日々、市民の声を浴びて成長しています。しかし、反面、上記の課・室は、市民との交流場面が少なく、同じ部署に長く配置されると市民感覚が客観的にとらえられないのだと。
 最近の市政運営のダッチロールを象徴する一日でした。その点では観察ができて意義深い委員会となりました。