情報共有して市民が考えあう機会 あったでしょうか?−その1−

皆さん、ご存知ですか〜?
  相橋架け替え工事で、江戸時代の石垣が取り壊される危機です!!

 文化財調査委員会の相橋・石垣視察(20日)を傍聴しました。(「 」は教委の発掘調査概要から)
<右岸(鳥羽城側) 「下部に乱積みで1m前後大ぶりの石が使用されており、県指定の家老屋敷跡(旧鳥羽幼稚園)の石積みと同様であり…江戸期に遡る古い石垣と考えられる」)
 
<左岸(岩崎側)からも出てきました。「…鳥羽城最後の藩主である稲垣家の家紋(抱茗荷・ダキミョウガ)入り軒瓦が出土しており… 江戸期に遡る可能性が高い」>

 今回の調査のまとめとして
・相橋の橋台部の石垣の中にも江戸期に遡るものが残存した。
・城山と城山周辺にも石垣が埋没し、残存していることが判明した。
・廃城時の明治初期の地積図から推定されていた想定ライン通りに石垣が確認されたので、
 地積図、絵図による発掘調査が鳥羽城の実体解明に極めて有効であることが確認された。
  …等、報告が行われました。


■■■ 私が、江戸時代の石垣が発見されたことを知ったのは、確か、昨年だったかの教委とまちづくり課の現地鳥羽城跡調査報告会の場でした。相橋の下に、江戸時代の石垣が見えたときは、往時の鳥羽城に誘われる思いがしたものです。
鳥羽商工会議所のエコミュ−ジアム構想 (地域に点在する遺産を現地保存・育成・展示する中で鳥羽の将来像を構築) のもとで、「とばみなとまち文学館」「広野邸」「石神さん」「海女小屋」「和歌散策路」…どんどん進んでいます。市民にとっても観光産業にとっても本当にうれしい話題です。
だから、当然、私は、鳥羽城に通じる玄関口に発見されたこの貴重な石垣はまさにお宝であって、百パーセント保存されると思い込んでいたのです。
 
 ところが、です。12月14日の「石垣が(壊されて)橋台」になるという新聞記事です。なんと!寝耳に水の出来事でした。もったいない…。悔しい…。
それと、市のまちづくり、観光政策の基本は何なのか?正直、私はわからなくなってきた…。先が見えなくなってきた…。
「エコミュージアム」はもちろん「地球塾」「少年探偵団」…すべて、温故知新というか、鳥羽市の歴史を尋ね、新しいまちづくりにつなげるものじゃなかったの?■■■


また、明日も続き書きます。