鳥羽小保存請願 常任委員会審議 その3

観光客を魅了し得る価値のある鳥羽小  
   鳥羽町民の教育への熱意が県下初の鉄筋コンクリート造小学校を生み出した

 
  市民の皆さんのなかにも、「あんな古い学校やのに値打ちがあるの…」と思われてる方がいらっしゃるかもしれません。実は、私自身も当初はそうでした。その認識が変化したのは、川島先生の講座がきっかけでした。
近畿分科会(近鉄が事務局)が、「伊勢・二見・鳥羽の近代建築を探る」と題した臨地講座を企画したのです。近鉄沿線の建築を学ぶシリーズの一環で、奈良や大阪の観光客が大勢参加されてました。
 現場の各箇所で、どのような建築的価値があるのか、講義を受けました。専門家である川島先生の明快な話しぶりに私は目からウロコ状態。そして、観光客は口々に、「これはすごい学校だね〜」「当時、鳥羽はお金もちだったのね〜」と、興味津々の様子。各地で勉強を重ねてみえる講座生の賞賛の声に感激しました。
 この時、私は、鳥羽小が観光客の魅力をとらえ得る価値のある学校なのだと肌身で知ったのです。それ以来、鳥羽小は市民の誇りであり、観光資源としての活用が課題だと確信をもちました。(私のホームページ06年9月10付けで、この時の思いを綴っています)


 川島先生の講義は先月も鳥羽小同窓会主催で行われました。先生の論文から、文化的建築的価値のポイントを抜粋しますと…。
■昭和初期につくられたわが国の小学校建築の秀作の一つ。現存する県下最古の鉄筋コンクリート造建築。三重県の近代を物語る貴重なもの。その特徴とは大正後期から昭和初期の学校建築の有した建築手法がいたるところにみることができる点にある。西洋歴史様式に影響を受けたプロポーションやスタイル。戦後の建築には失われてしまったヨーロッパ流の格式性が備わっている。
■さらに、前衛的といわれる手法も並存されている。講堂左右にある廊下的な空間である。…おそらくは三重県最初のモダンデザイン建築でもある。
■講堂のある3階で背面の裏山と繋がる」講堂部分が岩盤に食いつくように建設されている。非常に珍しい。また、講堂へは、児童とは別に、住民の出入り口があり、地域の公会堂としての一面があった。…


■■■いろいろお話を伺うなかで私が一番強く感じたこと、それは、当時の鳥羽町民の子どもたちの教育への熱意です。建設された昭和4年はちょうど、遷宮が行われた年で、伊勢志摩は好景気だったそうです。元気な鳥羽町民のまちずくりへの心意気が、県下初の立派な鉄筋コンクリート造小学校を生み出したのです。真珠養殖の御木本幸吉の寄付など、いかにして郷土鳥羽を発展させるか、それを教育に見いだした、私は、その人々の思いに感動します。その時代を目に見える形として伝える学校…。



近畿分科会の臨地講座
川島先生の講義に学ぶ観光客(06年9月)