数値だけでは住民の理解は得られない

県は住民の理解を得るしかないだろう。町外撤去も含めて。
  しかし、議会は市民代表だ。市民の立場で行動する


議会基本条例策定委員会に先立ち、「報告会?」お知らせのファックスが流れました。
よく経緯はわからないのですが、議長が、市建設課に対して、先日開催された県の住民説明会の報告を求めたらしい。ところが、市建設課は説明会には出席したが、今回の砒素問題等について情報は何もなし。(?!)それで、オブザーバーとして県職員の出席を求めた。というもの。


※市が説明できないのには理由があります。市内を通る道路工事で、砒素、黄鉄鉱まで検出されているのに、市建設課には、県の第三者委員会の検討結果報告書さえ届いていないのです。


さて、県の担当職員が、堅神町での説明とほぼ同様の話を30分続けました。
いかに安全であるか、各種数値を繰り出し、
こんなに安全なのに、「わざわざ」、県は、砒素、黄鉄鉱の土砂を封じ込めるだ
と説明しました。


議員からは、「わざわざ」とか「たとえば」とか使うのは適切なことか。
そういう手法は止めるべきだと指摘の声があがった。
「たとえば」、ひじきにはコレコレの砒素が含まれていることから考えれば、いかに安全かすぐわかる、といった内容です。そんな説明では住民の理解を得るどころか、逆に怒りをよぶだろう。
寺本、尾崎、中村、村山議員らから出されました。その通りです。


「検討委員会に地元自治体と住民代表、農漁業代表を入れることをなぜ検討しなかったのか」と私は詰問しました。答えは、要するに「安全なものだから必要ない」ということでした。
この見解にはあきれました。
仮に百歩譲って安全なものだとしましょう。
それでも、情報を得て調査し結論を出したのは県当局であって、住民ではありません。
住民にはその過程は保障されなかった。今、いきなり結論を押し付けられています。
県当局の仕事は、大多数の住民に理解してもらうことではないのでしょうか。
理解しない住民が悪いといわんばかりの説明姿勢は、県民の公僕にふさわしいものでしょうか。
県の案に納得が得られなければ、住民の意思に沿った工法を選択するしかありません。


県は住民の理解を得るしかないだろう。町外撤去も含めて。
しかし、議会は市民代表だ。市民の立場で行動する。
最後はこういう感じで終わりました。


わずか一時間の報告会で県はオブザーバー。議員の意見表明の場でもありません。
会議後、発言のなかった各議員に声をかけてみました。
・自分の町の近くにこんなもの埋立ると突然言われて賛成する町があるだろうか。
・住民の多くが反対しているのに、議会が認めるなんてことはできない。
町外撤去も含めて住民の理解を得るべきだ。
・説明が高圧的だと思った。何が何でもって感じ。安全だと数字を言われても調査しないと本当にはわからない。