子どもたちの時代に、基地はいらない

普天間にも子どもがいます。
  その子たちが安心してすごせるようにしてほしいです。
    そのために大人がいるんじゃないでしょうか


某紙の世論調査で今度の参院選挙の争点に「基地・平和問題」を上げた人が一番多かったという話を聞きました。これは珍しいことで、やはり、平和・核兵器廃絶への願いがかつてなく高まっているのですね。


今、共産党鳥羽支部も平和を求めるアクションの一つとして「普天間基地の無条件撤去を求める署名」に取り組んでいます。各家庭に配布してるのですが、ある若いお母さんから送られてきた「私のひと言」。


「子どもが安心してすごせるような日本にしてほしいです。普天間にも子どもがいます。その子たちが安心してすごせるようにしてほしいです。子どものために大人がいるんじゃないでしょうか」…。


若い方に教えられる思いです。母性ですね。政治家にこそ、こんなイマジネーションが問われてるんじゃないでしょうか。


 抑止力が必要だと簡単に言う大人もいます。共産党は、沖縄の基地は日本を守る抑止力などではない、アメリカの侵略力だと考えていますが、そういう議論は別にして、私は、そういう大人に問いたい気持ちになる。では、あなたは抑止力のために、沖縄のように家族を危険にさらし、轟音の中で毎日生活することができるのですか、と。


先日の源さんのお話を(いせ9条の会講演)思いました。
抑止力」の名のもとに沖縄は苦しめられてきた。子どもや女性への性暴力犯罪、轟音、墜落など耐え難い基地被害、その枠に閉じ込められてきた。耐えてきた。でも、でも、もう子どもたちの時代に、基地はいらない。沖縄の未来には、基地を認めることはできないのだと。ー


鳩山さんは「裏切り者」だ。私たちは最後まで信じていたのに…源さんは絶句。沖縄戦で3人に一人が犠牲になった。だから沖縄すべての家族が苦しみを共有している。基地は苦しみ、悲しみの根源。「基地はいらない」は政治でも思想でもない。沖縄の心なのだ。

女・子どもを犠牲にして何が抑止力か、情けない国家ではありませんかと。